新成人の諸君へ・2026
今日は成人の日。
新成人諸君の中には、晴れやかな気持ちで本日を迎えた人も少なくなかろう。大人への階段を上る日として、あるいは、旧友と再会する日として…。
しかし、私が新成人だったとき、私は晴れやかな気持ちでこの日を迎えることができなかった。
なぜ私が成人の日を晴れやかな気持ちで迎えることができなかったのか、なぜ私が成人の日に対して完全に否定的であるのかについては、過去ブログの次の2つの記事、特に2023年に投稿したものを読まれたし。
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そして、当時書いたことはほとんどそっくりそのまま、本年も当てはまる。
あまり同じことを何度も書きたくはないが、私が新成人諸君に対して言いたいことの要点について、改めてここに書き示す。
新成人諸君よ、君たちの周りにも、「存在していないことにされている」人はいないか?
もし思い当たる節があるならば、なぜその者が諸君の前に姿を見せないのか、少し考えて欲しい。
自分と異なる境遇に置かれている者について、少しは想像力を働かせてみて欲しい。それが出来るようになって、初めて一人前の人間と呼ぶことが出来よう。
そう。私は小中高、そして大学と、同級生や同窓生たちからは「存在していないことにされて」いる。その証拠に、同窓会の類いの案内をもらった試しがただの一度たりともない。
また、そうでなかったとしても、私は十代の頃、今でいうネトウヨ(ネット右翼)だらけの低民度地域で暗い青春時代を過ごしており、下手に連中に会いに行こうものなら、人格否定はまだかわいいほうで、下手をすると本当に殺されかねなかった。いわば、自分の命を守るために、成人式に参加することができなかったのだ。
そもそも善悪の概念がない上にカースト制と村社会が大好きで、気に入らないものを殺すことぐらい何でもないような連中だ。そんなのと鉢合わせになったら何をされるかわかったモノではない。もし許されるならば、私だけ特別扱いで別室での参加を認めてほしいくらいだった。そうでもしないと本当に殺されかねなかったのだ。
私のような人間、顕在化していないだけで相当数いるのではなかろうかと思われる。しかし、日本国内でマジョリティとして生きている者たちの数の暴力で、成人式に限らず数々の悪習は存置されたままだ。
過去にも述べていることだが、成人式などというものは、全体主義の醸成と校内カーストの維持以外の効果は無い
。つまり存在そのものが悪である。
自分より格下と認定した者たちを支配することに何のためらいもない悪人や、自らの頭で考えることを放棄して自らの言動に責任を取ろうとしない愚民にとっては、校内カーストの再確認にはそれなりの意味があるのであろう。己の置かれている立場にあぐらをかいていられるならばそのほうが楽だということは、いくら連中と相容れることのない私でも理解はできる。
しかし、私のように人格を否定されて校内カースト下位に追いやられてしまった者にとっては、校内カーストの再確認など、苦痛以外の何物でもない。そして、校内カーストの固定化には、良い影響など何一つとしてない。
そもそも、都市部一極集中に伴う都市部以外の過疎化や、慢性的な少子化などの社会問題も、元を正せば地域で特権的な立場にあるごく少数の者たちを中心とした村社会が放置されているせいだ。私に限らず、田舎に残っても絶対に幸せになれないことが火を見るよりも明らかである人間から、まず「田舎」を見捨ててゆくものである。そしてますます「田舎」は悪い方に進んでゆく。
「地域の分限者」が威張っているような地域に明日はない。それを打破して地方分権を正しく推し進めるためにも、たいした根拠もないまま惰性で存在し続けている悪習は根こそぎ殲滅すべきなのである。
とはいえ、負の連鎖を断ち切ろうとする志のある者たちが地域に残って内側から改革を進めてゆくのは、極めて困難である。特権的な立ち位置にいる者たちによる妨害が入るからである。なので、私自身がそうであったこともあり、私は地域社会を捨てる者たちを否定することなどできない。
しかし、新成人諸君の中で、自分の住む地域を愛し、良くなってほしいと思う人がいるのであれば、是非、地域を内側から変えていってほしい。そして、そのための第一歩として、成人式等のなぜ存在するのかがわからない悪習に対して疑問を抱くことが必要だ。物事をなあなあにしたまま惰性でやり過ごそうとしても、決して物事が改善されることはない。
また、地域社会に限らず世の中をよくしてゆこうという気が少しでもあるのであれば、政治情勢や社会情勢をある程度能動的に知るようにし、少なくとも公職選挙には必ず行くようにしなければならない。余力があればさらに、デモへの参加や地元の国会議員と顔見知りになることなども勧めたい。…私は残念ながら地元の国会議員と仲良くしているとは到底言いがたいからなぁ。
世の中を良い方向に変えてゆこうとする人が増えてゆくのであれば、日本の将来も少しは明るくなるであろう。新成人諸君がそのような志を持ち、私のような年寄りがいなくなったあとの日本を背負う気概を持ってくれることを、切に願う。
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